虹の橋ルーム

さようならロック(2007/7/9永眠)

犬のしつけの奥深さにすっかり魅せられて訓練士になってしまった。
今の私があるのはロックのおかげです。
ありがとう、ロック。

6才のとき、たまたま血液検査をしたら肝臓の数値が悪いことがわかり、そこから糖尿病を発症し、即入院となりました。その後、本当の病名はクッシング症候群だと診断されました。

食べ物をコントロールし、毎朝晩同じ時間にインスリンの注射を打つという闘病生活は、約2年半続きました。亡くなる数ヶ月前くらいは、ごはんを食べなくなることもあり、点滴をするために入院させたりしましたが、ロックはいつでも家に帰りたがりました。実際、家に帰った方が元気になることが多かったように思います

輸液といって、私自身がロックのからだに必要な水分を入れてあげられるよう指導を受け、太い針の注射針をからだに刺し、家でしてやったこともありました。今ではムダにロックを辛い目に合わせてしまったと反省です。
検査に行くたび血液検査が行われ、獣医師に「こんな数値で歩けるなんて信じられない」と言われるほど、ロックはがんばっていたようです。しかし、そんなロックも、ついに病気に負ける日がやってきてしまいました。
ロックがなくなる前日から、私は仕事で群馬にいました。仕事が終わって急いで帰路につくと電話がなりました。友人が家に帰るとロックが痙攣をしていたので病院に連れてきているとのことでした。

病院に到着し、診察室に飛び込んだ私の目に飛び込んできたのは、診察台の上で、顔と四肢を大きく振って、けいれんしているロックの姿でした。

「ロック! ロック!」

診察台に駆け寄り、思わず大きな声で呼びかけました。すると、ふっとけいれんが止まりました。ロックの見えないはずの目が、私を見ました。「やっとみつけた」ロックがそう言ったように感じました。これがロックとの最後の会話でした。

獣医師としてはこの状態では家に帰せないと言われ、一旦家に帰ってから2時間後、ロックは息を引き取りました。酸素箱の中でした。

この腕の中で逝かせてやりたかったのに、かないませんでした。連れて帰るべきだった。一生の後悔です。

あとで友人に聞いた話ですが、私が帰る前日の夜、皆が寝静まった部屋をロックがパタパタと転びながら歩いていたそうです。戻って来る様子がないので、おかしいと思って探しに行ったら、私の仕事部屋に立っていたそうです。今まで、夜中にそんなことをしたことはありませんでした。私を探していたのです。

歩くのもやっとだったと思うのですが、亡くなる前に最後に行った部屋は、私の仕事部屋でした。けれどどこにも私はいなかった。ごめんね、ロック。

愛犬との別れは、必ずやってきます。でもロックが喜ばないだろうから、私はなるべく悲しまないように務めていました。なるべく考えないようにしていたと思います。今でも涙を流さずにはロックのブログは読めませんが、ロックが亡くなったことは、しっかりと受け止めてあげたいと思っています。

最後に、愛犬を亡くした先輩?がかけてくれた言葉、私がとても救われた言葉をご紹介します。

「どんなに尽くしても、絶対に後悔するから。たくさん悲しみなさい」

Blog:ありがとう、ロック!

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